こんにちは!kammyです。
車の運転というのは、その人の考えていることが如実に現れることがあるように思います。
というのも、口頭での会話が成り立たないので、考えていることがシンプルに行動となって見えるからです。
道を譲る感覚がまったく違う
中国で車を運転していてもっとも違和感を覚えたのは、「道を譲る」という感覚の違いかもしれません。
たとえば、信号のない路地などで新しい道路に進入する場合。
日本でも中国でも、当然、他の車が来ていないかを確認します。
車がいないかもしくは遠く離れているならば、進む。
このとき、どのくらいの距離感があれば進入するのか、という感覚がかなり違うのです。
妻(中国人)や親戚の運転をみていて思うのは、日本であればこの距離なら入らないだろうと思われるようなときでも進入していくのです。
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新しい車線に入ろうとするときの違い
具体的にいえば、信号のない交差点で右折して新車線に入ろうとした場合。
左側から他の車が来ていないか確認してから、右折します(中国は右側通行なので左右逆ではあります)。
左手からせまってくる車が近ければ、その車が過ぎ去るのを待ってから右折するわけです。
私の感覚だとその距離感なら「過ぎ去るのを待つ」を選ぶだろうと思われるときにも、“果敢に”右折して入っていくのです。
時には「もしかしたらぶつかるかも、危ない」と思うような距離感でも、新車線に入っていく。
それで“果敢に”と表現したのですが、どうも運転している本人たちにはそうした感覚はないようなのです。
私の日本人的感覚からすれば、多少の危険を冒して右折したように見えるのですが、どうも本人たちはそうでもない。
あえて違いを表現すれば、こういうことになると思います。
日本人なら、そこを走っている車が速度を落とさずに、つまり他人を邪魔せずに進入できるときにしか進入しません。
すでにそこを走っている車に速度を落とさせるようであれば、自分は遠慮して進入しないわけです。
それが中国では、相手が速度を落とすことは気にしません。
相手が速度を落とせる範囲内で進入できるのであれば、迷わず進入していきます。
私が危ないと感じるような距離感のときには、そこを走っている車は、当然、速度を落とします。
つまり、日本人の進入の基準が「相手の邪魔にならないか」であるのに対して、中国人の進入の基準は、「(事故を起こさない範囲で)自分がその道に進入できるか」ということなのです。
だから、かなり近くに車がせまっていて日本人的感覚では進入しない場合でも、中国人は“この距離感なら相手が速度を落として自分が入れる”とおそらく無意識に判断して、進入するのだろうと思います。
進入の判断基準の重心が「相手」にあるのか、「自分」にあるのか
別の言い方をすれば、進入の判断基準の重心が「相手」にあるのか、「自分」にあるのかの違いと言えるかもしれません。
日本人ならば当然のように、先にそこを走っている車に“優先権”があるように考えます。
しかし、中国人はそうは考えず、相手も自分も対等の状況にあると考えているとも言えるかもしれません。
当然のことながら、逆の立場にたてば、信号のない路地で急に、進入してくる車に出くわすこともあります。
進入してきた車のために、こちらは速度を落とさなければならない。
古風な(?)日本人であれば、「こっちのことも考えずに自分勝手な」運転ということになるでしょう。
ところがこれは中国ではそれほど「自分勝手」というネガティブな評価にはならない。
当然、あまりに危険な運転は自分勝手と判断もされますが、その範囲は日本に比べてかなり小さいのです。
正直、いまだにこの進入するタイミングの感覚に慣れません(笑)
「えいやっ」と思って進入するも、相手の車が速度を落としたのを見たとたんに、ついつい自分も速度を落としてしまう。
反射神経的な“遠慮”スイッチが入るのです。
そして双方が一瞬、立ち往生する、という状況になってしまうのです。
これがネイティブドライバーであれば、相手の車が速度を落としたのは気にせずに、自分は自分で進むのです。
すると、スムーズに進入できる(笑)
どちらの感覚のほうが安全なのか、というのは分かりません。
ただ少なくとも、日本人的感覚をもって運転すると、立ち往生した私のように、多少の危険があるのだろうと思ったりします。
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相手を気にしすぎる日本人
最後に余談として、個人的な感覚を話せば・・・「相手」を気にしすぎて動けなくなることが多いのが日本人。
それが行きすぎてしまい、窮屈さを感じている私のような日本人も多いような気がしています。
相手の気持ちを推し量る「忖度」という言葉が流行った背景にも、その行きすぎを否定的に感じている人が多かったからということもあるのではないでしょうか。
本当は、相手のことは気にせずもっと自分中心に生きたい。
でも、いろんなシガラミがあってそれができない自分がいる。
「忖度」なんてやり過ぎだと思ってはいても、自分ごとになるとつい「忖度」してしまう。
自分はそんな性格のところが多いので、中国人の「忖度のなさ」が羨ましく見えたりします。
と同時に、それでもいいんだと時に勇気を貰えたりするのです。
さて、中国人と日本人の違いはここで紹介しただけにとどまりません。
中国人の性格全般については「中国人の性格の特徴」でまとめていますので、ぜひあわせてご覧ください!
また、中国の生活全般については「生活習慣・文化・風習における日本との違い」にまとめました。こちらもあわせてご覧ください!
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