こんにちは!kammyです。
フツーの中国人の知っている2つの日本語
多くの中国人にとって、有名な日本語は「ミシミシ」と「バガヤロウ」だと思います。
「ミシミシ」とは「飯(メシ)」の発音が少し妙になったもの。
「バガヤロウ」も「馬鹿やろう」の発音が少し変になったものです。
中国の人は、「か」と「が」の発音があいまいでよく間違えます。
これらの言葉は、抗日ドラマのなかで日本兵がよく言う言葉として有名なのです。
私が日本人だということを知ると、この2つの単語が飛び出してくることが多い。
「日本語」といえば思い出せるのがそのくらいだからなのでしょう。
ここ数年は少なくなったようなイメージがあるのですが、数年前までは、テレビをつければほぼ抗日ドラマといったようなイメージがあります。
親戚の家で、ご飯を食べたあとにテレビを見て団欒、ということがよくあります。
そこで抗日ドラマがかかっていたりすると、微妙な気持ちによくなったものです。
日本人として何か言ったほうがいいのか、と真面目に考えたこともありました。
それでも結局、敏感そうな話題を自ら口にしたことはありませんでした。
今思えば、抗日ドラマを日本人の前で流すことを、あまり気にしていなかったのかもしれません。
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抗日ドラマはエンタメのひとつ
実際、抗日ドラマをひとつのエンターテイメントとして見ている人も多いようです。
中島恵さんの著書『中国人の誤解 日本人の誤解』という本の中では、抗日ドラマをどんな人がどういう気持ちで見ているのか、具体例がいくつも取材されています。
そこでのひとつの結論として、抗日ドラマはある意味「水戸黄門」みたいなものかもしれないと書かれていて、うまい表現だなと感じました(別のどこかの本でも同じ表現を見かけた記憶もあり)。
抗日ドラマは最終的には「日本兵は悪者で、共産党は素晴らしい」というテーマに落ち着きます。
つまり、水戸黄門と同じく勧善懲悪ものなのです。
しかも、検閲でも確実に引っかからない抗日・反日というテーマ。
そうした事情を分かっていて、なかば他に選択肢がなく、抗日ドラマをただの娯楽として見ている人も多いようです。
だからこそ、日本人の私に面と向かってそこで知った日本語を言える部分もあるのかもしれません。
それしか日本語や日本人を知らないけれども、その元となった抗日ドラマは「作り物」だということを知っている人も多いということです。
そもそも本心から抗日ドラマの世界を信じていたら、私と話すことすらしないでしょう。
抗日ドラマを真面目に信じている
かといって、そういう人がすべてではないのが難しいところです。
抗日ドラマの影響もまったくゼロではなく、「水戸黄門」の世界をそのまま信じている人も大勢います。
日本のことを嫌いで、日本に対してネガティブなイメージを持っている人も多い(日本嫌いは抗日ドラマだけの影響ではないですが)。
そのことを考えると悲観的な気分になりますが、ふりかえって日本人も状況的には大差ない気がします。
中国・中国人嫌いが依然としてマジョリティです。
最近の意識調査のようなものをざっと見たのですが、むしろ日本人のほうが状況はひどいようです。
この調査結果については後日少し詳しく書いてみたいと思っています。
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中国人との違いを知ることから
一般的には、実際にその国やその国の人に触れると、ネガティブな印象がなくなることが多いような気がします。
食わず嫌いだったというケースです。
しかし、中国の難しいところは、中国・中国人と触れて中国を一層嫌いになる人も多い気がすることです。
食べたら想像よりもずっとまずかった的な(笑)
その原因は、日本(人)と中国(人)の違いがかなり大きいことと、そしてそれを事前に知らないことにあるのだと思っています。
しかも見た目や文化の起源が同じだから、他の部分も同じだろうという期待がある。
だから、それが裏切られたときのショックも大きい。
でも、違いを事前に知っていれば避けられる誤解やトラブルも多いはずです(と信じたい)。
そんな気持ちもあって、こうしてブログを書いてもいるわけですが、まぁ中国嫌いの人はここは読まないだろうなと思うので微妙な気持ちです(笑)
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