中国では終わり方が曖昧な傾向がある

こんにちは!kammyです。

集まりの終わり方

その瞬間には違和感を覚えないのですが、改めて思い出してみると奇妙に感じることが時々あります。

そのひとつに、集まりの終わり方があります。

たとえば、春節のときに親戚同士で集まって、レストランでご飯を食べる。

一通り食べ終わってお店を出るわけですが、そのタイミングが、けっこうバラバラなのです。

特段決まった最後の挨拶とかがあるわけでもなく、“なんとなく”食事が終わった人から、“なんとなく”バラバラと帰っていくのです。

日本であればーまぁまったく同じシチュエーションというのは無いのですが、親戚同士で集まってレストランで食事をしたら、とりあえず揃って店を出ていくような気がします。

もしくは最後に誰かがなんらかのかたちで“締めて”お開きとするかもしれません。

中国では、そのお開きのタイミングがどうも適当な気がします。

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お葬式の終わりも曖昧

話は変わりますが、同じことはお葬式のときにも感じました。

火葬場での火葬が終わって、お墓に納骨に行ったときのこと。

納骨を見届けて、最後に手をあわせて、それで喪主あたりから一言あって終わりなのかなと、日本的な想像をしていました。

ところが実際には、納骨さえ見届けずに、お墓についた途端にもうお開きだったのです。

人数が多く、その割にはお墓が小さかったため一箇所に集まりにくい、という点はたしかにありました。

しかし、行列をなしてお墓に向かいーこれはこれでまた中国的ではありますがー、お墓に着いたら、着いた人から解散という感じだったのです。

私は知り合いに連れられて歩いていたのですが、「これで終わり?」とその人に思わず何度も尋ねてしまいました。

そのくらい「終わり」というケジメ感がないまま、ダラダラと終わってしまったのです。

同じ日の夜に、同じようなメンバーで食事をする、という日程ではありました。

だから、またどうせ後で会うから、という理由で、終わりが曖昧ということは考えられなくもない。

それにしても、納骨の終わりが「流れ解散」というのには強い違和感を覚えたものです。

同じように結婚式の終わりも、日本と比べれば明確ではないような気がします。

いちおう司会者が、ここまでで式は一通り終わった、というようなアナウンスはします。

しかし、それで全員が揃って出ていくわけではなく、なんとなくダラダラと人数が少なくなっていく、という終わり方なのです。

だから片付けが入りながらも、まだ歓談している人がいたり、もしくは気がついたら周りに人がいない、ということもありました。

こうしたいくつかの例から、中国では何か集まりの「終わり」というのが、日本よりも曖昧なのかもしれないと思っています。

なんでそうなのか、ということは分からないのですが、個人主義的志向の強いことが影響しているのかなと想像したりします。

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