こんにちは!kammyです。
先日書いた「連載」の余談を書いてみます。
「連載」というのは、日中の思考方法と行動様式について書いた話です。
簡単に要約すれば、日本人は「べき論」ともいうべき「共通の規範」が多い「規範主義」の社会である一方で、中国人は、「共通のルール」が少なく「結果を優先」する「結果主義」の社会である、という話でした。
これを大枠として中国人を見ると、
なぜ中国人は下品なのか?(なぜ下品と評価されるのか?)
なぜ中国人は手段を選ばないのか?(なぜ選ばないように見えるのか?)
なぜ中国人はズルいのか?(なぜルールを守らないのか?)
という問いにも一定の答えが得られる枠組みだと思います。
なぜそうなのか?中国は不確実性の高い社会
では、さらに考察を進めて、なぜ日本人は「べき論」「規範主義」で、逆に中国人は「共通のルール」が少ない「結果主義」なのでしょうか?
そこには、なるべくしてそうなった背景があるはずです。
以下、私のアイデアベースの話として書いてみます。
ところどころ大風呂敷感も漂いますが、ご容赦を。
結論としては、「中国社会の不確実性が高いから」です。
そして不確実性の主因は、多民族・多文化国家であること。
日本が単一民族に近く、安定しているのに対し、中国は多民族で、文化的背景の異なった人々が常に交錯してきました。
また、民族的には表面上同じであっても価値観の異なるグループとの交流が多かった社会が中国といっていいと思います。
イメージしやすいように少し具体例を混ぜましょう。
たとえば、現代であっても「隣の村の方言が分からない」ということがあります。
妻(中国人)は浙江省義烏出身で、「義烏語」という方言を話せるのですが、同じ義烏市内であってもその一部が分からない「義烏語」が存在するほどです。
ましてや中国全土でみたら数千レベルの方言があるのです。
言語の違いだけでは説得力に多少欠けるかもしれませんが、ただ少なくとも日本人よりも中国人のほうが文化的背景がバラエティに富んでいる、という点は間違いないでしょう。
極端な言い方をすれば、中国のなかに、何千もの小さな国があると考えることもできなくはない。
そうした異なる価値観をもつ人たちが織りなす社会は、当然、ものごとの不確実性が高いものになります。
違う価値観をもった相手の反応というのは、事前に予想することが難しいからです。
中国で生活した方であれば、この「万事において存在する不確実性」というのが肌感として分かるのではないでしょうか。
そして、不確実性が高い社会においては、「結果主義」でものごとを進めることのほうが都合がよかったはずです。
何が起こるか事前に予想がきく「確実性の高い社会」であれば、「計画」をして「準備」をして「予定」を立てることが重要になります。
そう、日本のようにです。
一方で、予想がつかない社会では、「計画」も「準備」も「予定」も重要ではありません。
重要なのは、その場の状況に応じて臨機応変に対応することです。
何が起こるか分からないのですから事前準備はそれほど意味をなしません。
そして、その臨機応変さにおいてひとつの行動基準となるのが、その「結果」なのでしょう。
もし日本人のように「〜すべき」という規範にそって行動していたら、生き残って行くことは難しい。
目の前の相手はそうした「〜すべき」を守らずにやってくるわけです。
自分のグループ内でしか通用しない決まりを守っていると、それこそ「隣の村」に出し抜かれてしまうのです。
つまり、不確実性が高い社会だからこそ、「結果」に焦点をあわせた考え方にならざるをえなかった。
結果に忠実に考える癖が中国人に根付いた背景には、そんな中国の特質があるのかもしれないと考えています。
なお、中国人の性格全般については「中国人の性格の特徴」でまとめていますので、ぜひあわせてご覧ください!
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