こんにちは!kammyです。
冷たい接客対応というとネガティブなイメージがありますが、個人的には好きなんです。
ええ、マゾです。
なぜ好きなのか?というのを考えてみました。
日本の接客対応も少し見直したほうがいいんじゃないの?と思う今日このごろ。
「冷たい中国人」というのは比較的想像がつきやすいのではないでしょうか?
中国に一度でも行ったことがある人なら、接客対応の冷たさに不快感を覚えたことがある人も多いはずです。
また、日本においても、中国人のスタッフはどこか冷たい印象を与える人が多いと感じた人も多いかもしれません。
中国では、何かを買って「ありがとうございました」と言われることは多くありません。
また、お金やお釣りを投げるように渡されることも今だによくあります。
最近ではスマホをいじっていない店員を探すほうが難しいし、時にはお客さんそっちのけでスタッフ同士でおしゃべりに夢中になっていたりします。
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こういう「極寒の対応」に対して、みなさんは不快に感じますか?
たしかに日本であれば「え?」と感じることもあると思います。
先日どこかのラジオで、「中国でのこうした冷たい対応に耐えられない」と話していた人がいました。
なにか生理的な拒絶反応といってもいいような話し振りでした。
本場の冷たさを実体験したことで、日本とのあまりの違いにショックを受けたのかもしれません(笑)
どこのお店にいってもお客を「神」のように持てなしてくれる日本。
そうした「極楽」にしか住んだことのない人にとっては、中国人の対応は「地獄」にしか映らないこともあるのでしょう。
私はなぜか中国人の冷たい接客に対して不快を感じることが少ないです。
慣れもゼロではないと思います。
でも、私は学生時代にそれに接したときから「好奇心」のほうが先に反応してきたのだと思います。
その好奇心とはこんな感じです。
いま思い出せば、この疑問に答えようと長年、中国に携わってきたような気がしないでもありません。
今でもこうした疑問に100%答えられるわけではありません。
これからも探求は続いて行くと思うし、今だに中国や中国人に驚かされることはーいい意味でも悪い意味でもー、よくあります。
さらに、先日のブログ「中国人の冷たい接客対応に覚える解放感」でも書いたのですが、「極寒の対応」にある種の心地よさまで覚えるようになってしまっています。
マゾといえばマゾかもしれません・・・
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いや、より正確にいえば、相手の気持ちや感情を「読みあう」という日本人の習慣に「窮屈さ」を感じるようになってしまった、というべきかもしれません。
日本にいると日常生活のさまざまな場面で、いろいろな方角から目に見えない「型」を押し付けられているような感じがすることがあります。
極端にたとえれば、影も形もない監視カメラで撮影されているような雰囲気です。
いつも誰かに「見られている」感じがするのです。
一方で、中国では接客対応をその筆頭として、まったく「見られている」感じがありません。
監視カメラ(しかもその存在が見えない)の国で生まれ育った私にとっては、中国での冷たい接客対応に妙な「解放感」を覚えてしまうのは、そんな理由かもしれません。
監視カメラから逃れた脱獄囚の気分、といったら言い過ぎでしょうか。
ただ、これが一般論ではないのは承知です。
実際には多くの日本人は、さきほどのラジオの人のように、冷たい接客対応に「不快」や「怒り」を感じるのが普通なのでしょう。
その意味で、やっぱり自分は少し変わっているんだろうなと思います。
それでも、日本人の接客対応は行き過ぎだろうと感じる人はいないかなぁと想像、いや期待したりします。
そしてそういう人がこれに共感してくれないかと期待しながら、こうしてつらつらと「冷たい接客対応がいい!」などというマゾ的な内容をブログに綴ったりするのでした。