冒頭の写真は、レストランでお皿を片付ける店員。
この片付け方は日本ではありえないなと思い、なんとなく撮っておいた写真です。
今回はこの一枚の写真に見られる些細な違いから、「日本人と中国人の違い」という壮大なテーマに迫ってみようと思います。
結論から先に書いておきましょう。
日本人:「べき論」ともいうべき「共通の規範」が多い「規範主義」の社会
中国人:「共通のルール」が少なく「結果を優先」する「結果主義」の社会
である、という話です。
これだけでは何のことか分かりませんね。
具体例で丁寧に説明していくので、とりあえずそんなものかと思っていてください。
この考え方を大枠として中国人を見ると、
なぜ中国人は下品なのか?(なぜ下品と評価されるのか?)
なぜ中国人は手段を選ばないのか?(なぜ選ばないように見えるのか?)
なぜ中国人はズルいのか?(なぜルールを守らないのか?)
という問いにも一定の答えが得られる枠組みだと思います。
では説明していきましょう。
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まずは、その違いを観察することから。
“些細な”と書きましたが、明らかに日本ではこの片付け方はしませんね。
まず、お皿をぐちゃぐちゃに箱の中に突っ込むのは、日本ではあまり見られません。
日本人なら同じ系統のお皿を重ねるとか、金属系は別にするとか、もう少し違った片付け方をしそうです。
無作法にお皿を箱に突っ込むこの片付け方は、もちろんここだけではなく、規模に関係なくどこのレストランでもよく行われているやり方です。
客が去ると、店員が大きめのケースをドカンとテーブルの上に置きーもしくは床にどすんと置きー、そこにお皿を容赦なく、区別なく、見境なく次々と放り込んでいきます。
さらに、より目立つ違いは、この店員がお皿を入れたそのケースを引きずっていたこと。
金属製の長いS字フックをケースに引っ掛けて引きずって移動させていたのです。
斬新!
普通は、車輪がついたカートに、そのお皿が入ったケースを乗せて運ぶことが多いです。
ただ、カートが足りていないのでしょう。
お皿は陶器製が多く、ケースは手で持ち上がらないくらい重くなります。
その重いケースを引っ張ったら、ヤワなケースであればすぐ割れてしまうでしょう。
写真に写ったケースの端がすでに割れているのは、S字フックで引っ張りすぎたのが原因かもしれません。
さて、こうした片付け方を見ると、「ぞんざい」や「がさつ」といった印象をもつ人も多いと思います。
「斬新!」なんて勢い込んで書きましたが、反省反省。
もし日本でバイトとして同じことをやって、「斬新!」なんて手放しで感心する上司や先輩がいたら、ちょっとその人を疑うと思います。
この上司もしくは先輩は、もしかしてかなりの皮肉屋なのではないか?と。
日本ではなぜかこうした片付けはNGなのです。
日本では、
「お皿をぐちゃぐちゃに放り込んではいけない」
「お皿は手で運ばなくてはいけない」
「床を引きずってものを運んではいけない」
「S字フックをそういう使い方をしてはいけない」
といった暗黙の了解がーその程度はさまざまであれー存在するのです。
暗黙の了解なので、普通の人は意識したことはないはずです。
でも、日本人の意識のなかには、上のようなNGの組み合わせとして、
「お皿を無作法にケースに入れて、それを床を引きずって片付けるのはダメ」
という規範=決まりがあるのです。
こうして言葉にしてみると妙な決まりですね。
「決まり」だけれども、どこにも書いていないし、誰も直接教えてくれません。
初めてのバイトでも先輩からの指導やマニュアルには、この片付けがダメだとは書いていない。
小さいころから、なんとなく知らされている=教育されているのです。
だから、飲食店で初めてバイトをしても、日本人はこの片付け方はしません。
まぁ普通は思いつきもしないと思います・・・笑
逆に、中国人のアルバイトが日本でこの片付け方をしたら、先輩や上司から注意されるはずです。
そして、注意された中国人はなんで注意されたのかよく分からない、ということはあり得るような気がします。
この日中の違いはどういう風に考えたらよいでしょうか?
ある本のなかでは、こうした中国人の片付け方を「ぞんざい」という表現を使って批判・嘲笑気味に紹介していました。
結論としては「こうしたぞんざいな民族とは仲良くなることは難しいだろう」といった感じです。
このやや飛躍的な論理構造は嫌中派といわれる人々によくあるものです。
日本とは違う点について、その背景的な理由や原因を深く考慮せずに、日本的価値観の視点から一刀両断に「ありえない!」と否定する論法です。
メディアでも同じような論理が展開されることが多いように思います。
それが明からさまであることもあるし、暗にそう思わせるように作られていることもあります。
気持ちは分からなくもありません。
私も日本人として育ったので、「がさつ」な片付けを見たら、反射的な反応として一瞬「ん?」と不思議に思います。
でも、この論法は、日本人が生卵をご飯にかけて食べるのを見て、「なんて野蛮な民族なんだ!」と批判するのと同じ論法です。
知らない人のために書いておくと、中国人は何でも火を通して食べるのが普通で、「生卵をご飯にかけて食べる」というのは「異常な行為」に映るのです(今ではそれを知っている人も増えていますが)。
日本人が生卵を食べるのは「野蛮」だからではなくて、それなりの理由があるのです(たぶん)。
同じように、中国人が「がさつ」な片付けをするのにも、それなりの理由があるはずです(おそらく)。
少なくとも「野蛮」や「がさつ」と一言で片付けてしまうのではなく、もう一歩踏み込んで、なぜ中国人が「がさつ」と思われる行為をするのか、それを追求してみたい。
自らの好奇心をもう少し満足させたい。
「がさつ」の理由が分かれば、あわよくば、中国や中国人に対するネガティブな感情も少しマシになるかもしれません。
日本人も中国人も、おぎゃーと産まれた瞬間には同じだったはずです。
少なくとも、お皿の片付け方について決まった考えは持ってなかった。当たり前といえば当たり前。
でも大きくなるにつれて、それぞれの「価値観」とでもいえる考え方を身につけていきます。
中国人がいったいどういう経緯で、斬新としか私には思えないあのお皿の片付け方を編み出すのか、単純に興味があるのです。
おそらく、なんらかの合理的な背景があって「がさつ」な片付け方を編み出す考え方が身についているのです。
同様に、私たち日本人もなんらかの合理的な背景があって、写真のような片付け方を「がさつ」と判断する考え方がしみ込んでいます。
その「合理的な背景(理由)」にまで迫ることは、あるいは少し難しいかもしれませんが、その違いについてもう少し明確に整理することはできるような気がしています。
お皿の片付け方だけではなく、日常生活のいろんな場面で見られる、「日本人と中国人の根本的な思考方法と行動様式」のようなものです。
かみくだいて言えば、ある状況に直面したとき、
「どのように考えて、どの反応・行動するのか」
というのが、日本人と中国人ではかなり違うのです。
その「行動」は目に見えるけれども、「どのように考えて」の部分は、普通はあまり目に見えません。
初めてのバイトにお皿の片付け方を詳しく「なぜそうなのか」を説明しないように、行動の背景にひそんでいる考え方については普通は説明されないし、意識もされません。
それを今回は、中国人の「結果主義」と日本人の「規範主義」というキーワードで説明してみたいと思っています。
さっそく結論からいえば、日本人は「規範主義」とでもいえる理想を追求することを好む文化のなかに生きています。
普段は意識はしませんが、比較すると明らかです。
お皿の例でいえば、
「お皿をぐちゃぐちゃに片付けてはいけない」
「お皿の入ったケースを引きずってはいけない」
という規範=決まり=理想が、日本人のなかには刷り込まれています。
もちろん、ぐちゃぐちゃに片付けるとお皿が傷付くとか、割れやすいとかいったより実利的な理由もあるかもしれません。
もしくはケースを引きずると床が傷ついてしまう、というふうに考える人もいるかもしれません。
でも、そうした「実利的な」理由が浮かんで来る前に、まず多くの日本人の頭の中には、
「お皿をぐちゃぐちゃに片付けてはいけない」
「床を引きずってはいけない」
といった「規範」「建前」「理想」が、反射神経的に浮かんでくるのではないでしょうか。
もしくは
「似たようなお皿を重ねて片付けるべき」
といった“べき論”が浮かんでくる人もいるかもしれません。
だからこそ、「お皿をぐちゃぐちゃに突っ込んではいけない」といった指導を、初めてのバイトで先輩や上司からされることはありません。そんなことは当たり前だからです。
一方で、中国人は規範をそれほど重要視しません。
というかそうした規範や決まり、「べき論」が、もともとあまり強く刷り込まれていません。
日本との比較で言えば、中国人は、現状に即して臨機応変に対応し、その結果をより重視する「結果主義」ともいえる文化のなかで生きています。
この「結果主義」にのっとってお皿を片付けようとするとどうなるか?
ここでは、「手早く綺麗に片付ける」のが最終的に目指すべき結果です。
その「結果」を達成するためには、テーブルの上にあるお皿をとにかくケースに入るだけ入れて、厨房に持っていくのが最短の方法。
さらに厨房まで持って戻る方法は、カートがないなら引きずるのが早い。
重いから手で持って運ぶことが難しいからです。
もし「お皿が入ったケースを引きずってはいけない」と考える中国人がいるとしたら、それは日本人が「あと付け」の理由として考えたような「実利的」な理由からです。
つまり、「お皿が割れてしまう」とか「床が傷つく」といった理由です。
しかし、反射神経的な感覚として
「お皿を無作法にケースに入れてはいけない」
「お皿は似たようなものを重ねるべき」
とは中国人は考えないのです。
そうした規範=決まりは一般的には刷り込まれていないのです。
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もう1つ別の例で、この主義の違いをみてみましょう。
この話はいつも楽しく読ませていただいている中国語通訳の後藤さんのブログ(「攻めの文化と守りの文化」)で読んだものです。
初めて中国に駐在したときに、机の上にある電球が切れたことがあり、担当の人に交換をお願いしたそうです。
それでいざ交換しようとしたら、その人が机の上に土足であがって交換したことに驚いた、という話でした。
日本人としては
「土足で机にあがってはいけない」
「もしあがるなら机が汚れないようにすべき」
という共通の規範があります。
どこで教えられたわけでもないのに、同じ認識を日本人は共有しています。
しかし、中国人は同じような共通規範は持っていないのです。
机の上の電球を換えるのであれば、その机の上にあがって電球を交換すればよい。実にシンプルで合理的です。
後藤さんの電球を替えてくれた人は、作業後にその土足であがった机をきれいに拭いてくれたといいます。
結論的には「電球が新しいものに替わって、机がきれいならいい」わけです。
日本人がやっても中国人がやっても、結果的には同じ結果です。
場合によっては、中国人の方法のほうが机はきれいかもしれません。
靴をぬいで机にあがる日本人は、机の上をわざわざ拭かないかもしれませんが、土足であがった中国人はおそらくきれいに拭くからです。
おじさんの靴下の臭いがかすかに残った机と、泥が少しついたけど拭かれてきれいになった机。どちらがいいか。
うーん、後者かもしれない。
現代の日本人であれば、机の上に新聞紙を敷いて、さらに靴をぬいであがるのが一般的な気がするので、この究極の選択に直面することはなさそうですが(笑)
何にせよこの例は、「規範主義」と「結果主義」の違いが明確にみえる例だと思います。
ここまで理解できましたでしょうか?
ちょっと長くなったので、続きは別記事で。
なお、中国人の性格全般については「中国人の性格の特徴」でまとめていますので、あわせてご覧ください!